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【前編】俳優・タレント松本明子さんが語る「実家じまい」のリアルと教訓:総額約1800万円の道のり

大相続時代として話題に上がることも多い「空き家」。それは、決して他人事ではありません。親が元気なうちは考えたくない、でもいつかは必ず向き合わなければならない現実です。
誰にとっても自分事になるこの問題に直面し、解決に向けて奮闘した経験を克明に伝えてくれるのが、『実家じまい終わらせました! ――大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方』(祥伝社)の著者である、タレントの松本明子さんです。
「電波少年」「DAISUKI!」「TVチャンピオン」をはじめ、現在でもTVで明るい笑顔をよく見る松本さんですが、その一方で、空き家状態になってしまった空き家を20年以上にわたって維持管理し、「いつか」のためにとリフォームも行い、総額約1800万円もかけて「実家じまい」に奔走していました。
今回は、松本さんに改めてその道のりを振り返っていただき、これから実家の問題に直面するであろう私たちへの貴重な教訓をうかがいました。体験した人だからこそのリアルな言葉は、多くの人々の共感を呼んでいます。
 
今回は前後編でお届けします。前編では、「実家じまい」の経験を具体的に聞いていきます。

INDEX

——本日はお忙しい中、本当にありがとうございます。以前、ウェブ記事で松本さんの「便秘とその解消のお話」を拝読したことがありました。日常的な問題にしっかりと向き合っているお姿が印象的で、今回の「実家じまい」についても、ぜひ松本さんの目線からお聞きしたいと思い、インタビューをお願いする運びとなりました。松本さんのご著書、多くの反響を呼んでいますね。

松本明子さん

松本明子さん(以下、松本):どうもありがとうございます。本当にたくさんの方から「うちも同じです」「参考になりました」というお声をいただいて、自分の経験が誰かの役に立てているなら、こんなに嬉しいことはないなと思っています。

——今回は、その多大な労力と時間とお金を注がれた「実家じまい」の体験について、改めて詳しくおうかがいできればと思います。

空き家の始まり:父の「頼むね」という言葉の重み

——まず、香川県のご実家が空き家になった経緯から教えていただけますか?

松本: はい。私は中学を卒業した1982年にアイドルとしてデビューするために上京したのですが、そこから10年近く、いわゆる鳴かず飛ばずの状態で……。でも27歳の時に、バラエティ番組「電波少年」や「DAISUKI!」、「TVチャンピオン」などの出演をきっかけに、ようやくレギュラー番組を持てるようになったんです。そこで、これまで心配をかけてきた香川の両親を東京に呼び寄せて、3人で賃貸アパート暮らし始めました。当時は1990年代、その時から、私の実家は誰も住まない「空き家」になりました。

ご実家の外観

——最初から「空き家問題」として意識されていたのでしょうか?

松本: いえいえ、全く。当時は両親もまだ元気でしたし、年に3回くらいは香川に帰って、家の掃除をしたり、庭の手入れをしたりしていましたから。ただ、年を重ねるにつれて、その頻度もだんだん少なくなっていって……。それでも家族の誰も、実家を処分するという考えは全くありませんでした。父がやっとの思いで建てた、こだわりのマイホームでしたからね。ただ漠然と、「いつかは誰かが……」という気持ちで維持していた、というのが正直なところです。

——転機となったのはなんだったんですか?

松本:東京暮らしがはじまって10年くらいですかね、父が癌を患って、亡くなる間際の病床で、私の手を握って言ったんです。「明子、香川に残してきた実家を、頼むね」って。

ずっと気になっていたんでしょうね。自分がこだわって建てた家なのに、娘に呼ばれて東京に出てきて、誰も住まなくなってしまった家をどうするべきか……。その言葉が、まるで遺言のように重く私の肩にのしかかりました。その瞬間から、「とにかく、あの家を維持管理しなきゃいけない」という責任感が、自分の中で絶対的なものになったんです。

1800万円の現実:維持費という見えない敵

——その責任感から維持管理が始まったわけですね。

松本:その通りです。結果、維持管理のために総額1800万円かかりましたね。今、改めて振り返ると恐ろしくなるんですが……。まず、固定資産税や火災・地震保険料、そして光熱費ですね。いつ帰ってもいいように、電気も水道も契約したままでした。月々3万円弱、年間で30万円以上の費用がかかっていました。「でも、東京での暮らしを切り詰めれば払える」という、なんとも微妙な金額だったことが、問題を先送りにする一因だったかもしれません。

——それだけでも大変ですが、さらに追加の費用も?

松本:そうなんです。家は人が住んでいないと、本当にあっという間に傷んでいくんですね。ある時、行政を通して近隣の方からクレームが入ったんです。「雑草が伸び放題で景観が悪い」と。

——実際に見てかなりひどい状態だったのですか?

松本:本当にひどい状態でしたね。雑草が伸び放題になっているだけじゃなくて、スズメバチの巣が軒下にできていたり、アオダイショウの抜け殻が縁の下にあったり、庭の木の枝が隣の敷地にはみ出してしまっていたり……。

——それは……ご近所の方も不安になりますね。

松本: はい。それで慌てて専門の業者さんにお願いして、年に3回、庭木の手入れや雑草駆除をしてもらうことになりました。それも決して安くはない費用です。さらに、建物自体の老朽化も進んでいました。床が歪んだり、壁にひびが入ったり。特に水回りはひどかったですね。何ヶ月かぶりに行くと、蛇口から茶色い水が出てきたりして。

——そこでリフォームを決意されたのですね。

松本: 「いつか誰かが住めるように」という思いもあって、合計2回、総額で600万円ほどかけてリフォームをしました。

古くなった空調のためのボイラーを撤去したり、クーラーを設置したり、カーテンを新調したり……。でも、この時はまだ「売却」という選択肢はなく、あくまで「維持」するため、そして父との約束を守るための投資のつもりでした。

諸経費の概算金額(『実家じまい終わらせました! ――大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方』(祥伝社)より)

——そのときはどなたに工事をお願いしたのですか?

松本:地元に付き合いのある工務店さんがいたんです。父が建設会社のサラリーマンだったので、仕事上も付き合いがある工務店さんに当初からメンテナンスをお願いしていたんです。リフォームもその工務店さんにお願いしました。

決断の時:息子さんの一言と「価値ゼロ」の衝撃

——長年、金銭的にも精神的にも大きな負担を抱えながら維持されてきたんですね。

松本:父が亡くなって4年後、今度は母が癌で他界しました。わたしが40代前半の頃です。ずっと同居していて、私の心の拠り所だったので、本当にショックで……。介護疲れや仕事、当時5歳だった息子の子育てなど東京の生活が精一杯で、実家の問題は正直、見て見ぬふりをしていました。

「いつかやらなきゃ」と頭では分かっていても、なかなか行動に移せなかったんです。

——ご夫婦で空き家についてお話されていたんですか?

松本:どちらかというと親戚や夫の家族から「いい加減、実家のことを本気で考えた方がいい」と言われるようになりましたね。

それから時間が経ち、2010年代以降でしょうか、わたしがゲストで出演させていただくテレビ番組でも「空き家問題」が日本全体の問題として取り上げられるようになっていました。

それが「あ、わたしはまさにこの渦中にいるんだな」と自覚し始めた時期でした。でも、最後のひと押しになったのは、高校生になった息子の一言でした。

——息子さんの、どんな言葉だったのですか?

松本: 進路の話をしていた時に、ふと実家の話になったんです。私は「この家を残しておけば、いつかこの子のためになるかもしれない」と甘く考えていたんですが、息子ははっきりと言いました。

「おじいちゃん、おばあちゃんの思い出は僕の中では東京にあるから、申し訳ないけど香川の家にはあまり繋がりを感じないんだ」と。ハッとしました。私は、この子に私と同じ苦労を、負の遺産を背負わせてしまうところだったんだ、と。この子の言葉で、ようやく「自分の代で、わたしが何とかしなきゃいけないんだな」と決意が固まりました。

——「実家じまい」を決意した瞬間だったんですね。

松本: はい。当時ちょうど出演したTV番組で高松の不動産屋さんに実家の資産価値を査定してもらう機会がありました。内心、「2度もリフォームしているし、まあ1,000万円くらいにはなるだろう」なんて、まだ甘い期待を抱いていたんです。でも、専門家の方から告げられた言葉は、本当に衝撃でした。

——どんな結果だったのでしょう?

松本:「建物の価値はゼロ円です」でした。日本の木造家屋は築25年を過ぎると評価額がゼロになるそうで、600万円もかけてリフォームしたことも伝えましたが、「素人の方がご自身の判断でされたリフォームは査定には響きません」とバッサリ。

結局、土地代のみの査定額は、わずか200万円。愕然としました。父が人生をかけて建てた家が、こんな価値にしかならないのかと。でも、この衝撃的な現実が、私の迷いを完全に断ち切ってくれました。もう、手放そう、と。

怒涛の1ヶ月:終わりなき「大片付け大会」

——売却はどうされたんですか?

松本: 地元の不動産屋さんに相談に行きました。「弊社で物件を紹介して購入希望者を募ることもできますが、松本さんは東京に住まわれていますし、物件も香川県で遠隔になるので、もっと広く募ったらどうですか?」と言われたんですね。それで紹介いただいたのが、香川県が運営している空き家バンクでした。

——なるほど。ご自身で登録されたのですか?

松本:はい、香川県庁まで行って申し込みをしました。担当者さんには、「空き家バンクに登録しても、10年、20年買い手がつかないこともありますので、期待しないで待っていてください」と言われていたので、長期戦を覚悟していました。

——問合せはありましたか?

松本:問合せ自体はあったのですが、「賃貸で家賃2万円でお願いします」や「買い取り150万円でお願いします」など、わたしのなかでは「もう一声!」という感じだったんですよね。

なかなか難しいのかなと思っていた矢先、登録して1、2ヶ月という本当に奇跡的なスピードで買い手が見つかったんです。滋賀県にお住まいの70代のご夫婦で、定年退職を機にご夫婦の故郷である香川県にUターンを考えていて、まさに「今すぐ住める状態の空き家」を探していらっしゃったそうなんです。

——あの松本明子さんが買い手を募集されていることはもちろん知らなかったわけですよね。

松本:空き家バンクの登録情報にありませんからもちろんです。鍵の受け渡しのときに初めてお会いしたので、ちょっとびっくりされていました(笑)。

売れてホッとする間もなく、そのご夫婦から「1ヶ月以内に、家の中の荷物をすべて空っぽにしてほしい」というお願いがあったんです。

そこから、私の人生で最も壮絶な「大片付け大会」の始まりでした。

ご実家にあった思い出の品々の一部

——業者に依頼するという選択肢はなかったのですか?

松本: もちろん考えましたが、両親が遺したものを他人任せにはできない、自分の手でちゃんと見届けたいという気持ちが強かったんです。

——どうされたんですか?

松本:自ら片付けることにしたんです。家はもうお湯も出ないので、近くの健康ランドに寝泊まりしながら、朝から晩までひたすら片付けです。運び出した粗大ごみは、2トントラックで14往復分にもなりました。費用も結局100万円近くかかりましたね。

父が遺した2000冊の専門書は古本屋を回ってもほとんど値段がつかず、私の昔の思い出のビデオテープも再生できる機械がないのでDVDに焼き直して40〜50万円かかり、母がつけてくれた大量の梅酒や100着近くあった着物など、処分に本当に苦労しました。

大量の書籍

——聞くだけでも大変ですね……

松本:特に大変だったのは、先祖代々の大きな仏壇と、父の愛用していたピアノですね。

——どのように処分されたのですか?

松本: 仏壇は、ただ単に燃えるゴミとして出すのはあまりに忍びなくて……。地元の仏具屋さんにお願いして、お坊さんに来ていただいて魂抜きをしてから引き取っていただきました。ピアノも粗大ごみには出せないので、専門の業者さんにクレーンで運び出してもらうことに。一つ一つに、時間もお金も、そして何より気力が必要でした。もう、本当にヘトヘトでしたね。

松本明子さんの実家じまい、最初から最後まで波乱の連続です。ですが、実家じまいを経験された方の多くは、同じようにそれぞれのドラマがあるのではないでしょうか?

後編は、「どうしたらよかったのか?」を踏まえて、これから実家じまいを経験される方に向けたお話をうかがっていきたいと思います。

credit:

企画・取材・編集:榊原充大(株式会社都市機能計画室)/特記なき写真は松本明子さんご提供

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