Kyoto Dig Home Projectのテーマである「価値はユーザーが選ぶ」を実践する人に焦点を当てる「暮らしのディグり方」。今回紹介するのは、二条駅からほど近い路地の奥、築およそ100年のユーズドハウスで「月光観測所(げっこうかんそくじょ)」という場をひらく三川夏代さんと田貝雅和さんです。
Kyoto Dig Home Projectではこれまで、空き家を「住まい」として活用する事例や、「店舗兼住宅」として商いをしながら暮らす事例を数多く紹介してきました。ですが、住宅の余る時代において、必ずしも「住む」「商う」でなくても、誰かがその場所を使えたらいいのではないか——。そんな第三の選択肢として今回ご紹介するのが、月光観測所です。
ここはお店でも住まいでもありません。月に一度ゲストを招いて対話会をしたり、自分自身と向き合うための「ノート」を預かる。そんな不思議な使い方で、二条の路地に静かな存在感を放っています。前編では、お二人の物件との出会いから、月光観測所という名前に込められた歴史、そして実際のリノベーション体験について伺いました。
INDEX
東京から京都へ移住、路地の物件との出会い
JRと地下鉄のハブともいえる二条駅から徒歩数分。表通りの喧騒から離れ、石畳の敷かれた静かな路地の端に佇む一軒のユーズドハウスが、今回訪問した「月光観測所」です。

月光観測所は、いわば「自分自身を観測する場所」。訪れた人に一人一冊のノートが手渡され、今思っていることや考えていることを自由に書き綴り、書き終えたノートをこの場所に預けて帰るということから、「ノートバンク」として活用されている場所です。さらに、月に一度、さまざまな分野のゲストを招いての「対話会」を開催し、他者との対話を通じて自分自身を見つめ直す機会づくりがおこなわれています。



この場所を運営するのは、三川夏代さんと田貝雅和さんご夫婦。お二人はもともと東京で働いていましたが、コロナ禍によりフルリモートが許容されるようになったタイミングで東京を離れることを考え始めました。移住先として最初に検討していたのは、長野県松本市だったといいます。

田貝さん「お城もあって空も広くて、すごく良かったんです。でも、不動産のウェブサイトも見て物件を探していたんですけど、なかなかピンとくる物件がなかった。そんなときに、家探しとは関係なく京都に旅行に来ていて、たまたま四条大宮近くに当日内覧OKの京町家を見つけて、内覧することにしたんです。」
最終的には利便性を重視して二条駅前のマンションを移住先の住まいとして選んだ三川さんと田貝さん。京都には強い縁があったわけではないため、偶然の出会いをきっかけに京都への移住を決断したと二人は当時のことを振り返ります。しかし、その後京都暮らしを始めると、京都との繋がりにある想いが芽生えました。
三川さん「性格上、いずれまたどこかの地域に引っ越しそうだな、という感覚がありました。そうなった時のために、自分たちが住んでいなくても、京都との繋がりを持っておきたいという気持ちがあったんです。」
住まいとは別で場所を持つことで、そこに愛着が生まれ、誰かと繋がっていけるのではないか。そんな思いから空き家を探し始め、辿り着いたのが現在の「月光観測所」となった物件です。
「月光観測所」の名前に込められた、まちの歴史
——物件を借りたのはいつ頃でしたか?
三川さん「2023年の6月です。借りた当初はこの場所でどんな活動をするか決めていなかったので、そこから3ヶ月後の9月にようやく月光観測所としての初めての活動を行いました。はじめから『定期的にこれをやっていこう』と明確に決めていたわけではなくて、しばらくは手探りの状態が続きました。」
———この場所はなぜ月光観測所というのでしょうか?
三川さん「この辺りの町の名前が『月光町』というんですが、町の名前に『月光』が入っているのはすごく珍しいなと思ったんです。何か名付けられた由来がありそうだと思って、町名の由来を調べてみることにしました。」
田貝さん「左京区にある歴彩館に足を運んだり、京都市の地名に関する書籍を買い集めて読み解いたりしたんですが、『月光町』という名前そのものの由来は明記されていなくて。代わりに見えてきたのが、江戸時代にこの辺りに『天文台』があったという事実です。さらに日本独自の暦づくりの歴史をたどると、この月光町もその重要な舞台の一つだったことがわかりました。」

三川さん「元々日本では、中国から輸入した暦をそのまま使っていました。でも中国と日本では経度が違うので、使い続けるうちに少しずつ実際の天体の動きとずれていったんですね。当時、暦は単なるカレンダーではなくて、星の動きから政(まつりごと)の吉凶を判断する陰陽師の道具でもあったので、暦がズレるというのは、朝廷の権威そのものが揺らいでしまう大問題だったんです。」
田貝さん「新しい暦を作らなければ、と最初に動いたのは、朝廷ではなく江戸幕府でした。伊能忠敬の師匠にあたる天文学者・渋川春海に依頼して日本独自の暦づくりが始まります。最初の観測地は梅小路周辺だったんですが、それから100年ほど立って精度を上げるための改暦が行われ、3度目の改暦で天文台が建てられたのが、この月光町の一帯だったそうです。」
三川さん「伊能忠敬が全国を測量して作った『伊能図』には、当時の日本の時間の中心を示す子午線が引かれているのですが、それはこの月光町を南北に通っているんです」
田貝さん「日本天文学史の本にも、この話は数ページしか書かれていないんです。京都の人に伺っても、この場所に天文台があったことをご存知ない方が多くて。すごく面白い歴史なのに、埋もれてしまっているのがもったいないなと感じました。」
——実際に天文台があった場所もわかっているんですか?
田貝さん「月光観測所からほど近い『月光稲荷』というお稲荷さんの裏手にあったようです。ただ、月の観測は1年限りの事業で、その期間が終わると幕府はこの場所を引き払ってしまったんです。その跡地が勿体無いということで、当時すでに集落のあった三条会商店街のあたりに住んでいた人たちが移り住んできたのが、この一帯の集落の始まりだと聞いています。」
三川さん「川沿いという立地だったので、材木業も近くで営まれていて、次第にまちとして発展していったという経緯も教えてもらいました。天文台という一時的な施設の記憶の上に、今の路地の暮らしが積み重なっているんですよね。」

——この辺りには他にも天体にまつわる地名がありますよね。
三川さん「近くに『星池町』や『月双町』といった町名も残っているんです。当時この一体は湿地帯で人が住んでいなくて空がよく見えたので、水たまりに月が映り込む様子から『月双町』と名付けられたんじゃないかと私たちは推測しています。空がよく見えるからこそ、江戸幕府もこの場所に天文台を構えたんじゃないかな、と。」
田貝さん「昔、月を定点観測することで暦を作っていた場所で、令和のいま、何を定点観測するといいんだろうという話になった時に、自分自身を定点観測するのが面白そうじゃないかということで始まったのがノートバンクという取り組みでした。」
——もし「西月光町」ではなく、別の町名だったら月光観測所ではなかったかもしれないんですね。
田貝さん「そうですね。ジュースバーのような全く別の使い方を考えていた時期もあったんです。この土地に眠る物語を掘り起こしたことが、結果として活動そのものの方向性を決定づけたんだと思います。」
「ノートバンク」という仕組み——書いて、預けて、また開く
——月光観測所の活動が始まったのは2023年ごろということですが、ノートバンクを利用されている方はどのくらいいらっしゃるんでしょうか?
三川さん「今は150人強くらいですね。仕組みはシンプルで、訪れた方に真っ白なノートを1人1冊お渡しして、今思っていることや考えていることを自由に書き綴ってもらいます。書き終えたノートは持ち帰るのではなく、この場所に預けて帰っていただく。それが『バンク』という名前の由来です。」
——日記を書くことやSNSを更新するのとはまた違う記録のあり方ですね。ノートはどちらに保管されているのでしょう?
田貝さん「鍵つきの古いタンスにしまっています。訪れるたびに自分のノートを取り出して書き足してまた鍵をかけてタンスに預けるという流れです。」

——「預ける」という行為にこだわりがあるそうですね。
三川さん「書いた時の自分の感情や気持ちを、次に月光観測所に来るまで見えない状態にする。鍵をかけるというのは、ある種、閉じ込める感じなんです。その瞬間の想いを冷凍するというか、真空パックするような感覚があって。次にその鍵を開けた瞬間に、当時の感覚がふっと立ち上がってくるんですよね。『あの時、これで悩んでいたな』とか、『こんなことが好きだったな』とか。鍵を閉める丁寧な所作そのものが、記憶を呼び覚ますトリガーになっている気がします。」
——利用される頻度は皆さんそれぞれ違うんですか?
田貝さん「はい、本当にさまざまです。最も多く通ってくださっている方は、これまでに10回ほどきていただいて。島根県の方なんですが、東京、静岡、京都、島根を行き来する生活の中で月に1度京都に来るタイミングでこの場所に立ち寄って、ノートを書いてくださいます。一方で、半年、一年と間隔が空く方も少なくありません。
——月に一度のゲストトークは、どのような方に来ていただいているんですか?
三川さん「基本的には私たちの知り合いの方の中でお声がけをしています。これまでにも本当に多彩な顔ぶれに来ていただきました。ゲストの方に、自分自身が感じていることや、活動を通じてみんなと対話したいテーマをお話いただいて、来ていただいた方とみんなで深めていく、という時間になっています。

——お二人はこの場所に常駐されているわけではないですよね。運営はどのように回しているんですか。
田貝さん「対話会のタイミングに合わせてきていただくケースもあれば、『いつ頃行きたいです』という個別の連絡を受けて、仕事の都合を調整しながらご案内するケースもあります。」
三川さん「顔の見える関係性の方に来ていただいている、というところはあると思います。効率だけを考えれば非合理かもしれませんが、こういうスタイルだからこそ、ノートを安心して預けられる場の空気ができているのかなと感じています。
まずは最小限の改修という選択
——物件を借りた当初はどのような状態でしたか?
三川さん「床がところどころ抜けていて、かなり厳しい状態でしたね。前の住人の方がご家族で暮らしていたそうですが、しばらく空き家になっていた期間に傷みが進んでいたみたいです。とりあえず必要だったのは、住めるくらいのリフォームというよりも、『最低限安全に使える場所にすること』でした。」
———改修はどのように行われましたか?
田貝さん「同じ路地の中にギャラリー兼住宅を構える『熊間』というスペースがあるのですが、そちらを手がけた建築家・浦田友博さんに協力していただいて、少しずつ手直しを重ねていきました。『熊間』の物件も同じ大家さんなんですが、自由な改修が行われていたのを見て、『ここも自分の好きなようにやらせてもらえそうだ』と感じたことが、物件を決める大きな後押しになりました。」
三川さん「持ち家であれば当然できることも、賃貸となると大家さんとの関係性次第で大きく制限されてしまう部分もありますよね。その意味で、この路地は借りる側にも一定の裁量を委ねてくれる、ユーズドハウス活用にとって重要な条件が揃っていた場所だったんだと思います。」
———物件を借りてから活動を始められるまでにどのくらいの時間を要しましたか?
三川さん「物件を借りてから観測所の活動をはじめるまでが3ヶ月。その後、活動をしながら浦田さんと相談をして半年ほどかけて物件の改修を進めていきました。」
——改修で最初に着手したのはどの部分でしたか?
三川さん「エアコンの設置と、老朽化した配線のやり直しです。配線の漏電から火事になるリスクもあったので、まずはここに手をつけることにしました。ここに暮らすわけではないので、本当に最低限、安全に使えるようにするというところですね。」
——何を残して、何を新しくするかという判断は難しいところですよね。
田貝さん「そこの線引きはすごく難しいなと思いますね。壁は、前に貼られていた壁紙を剥がした跡がそのまま残っているんですけど、まあこのままでもいいかなとあえて手を加えていなかったり。」
三川さん「窓には木製の格子が元々ついていたんですが、改修を機に外しました。この場所は『ひらけた場所』でありたいと思って。綺麗に直そうと思えばいくらでも綺麗にできる気はするんですけど、この建物が100年以上をかけて重ねてきた雰囲気や空気を残しながら何をどう更新するのかを考え続けてきました。」

——柱の傾きや梁のたわみにも年月の重なりを感じますね。
田貝さん「隣接する建物と壁を共有していることもあって、真っ直ぐに直そうと思えば直せるかもしれないんですけど、あえてそのままにしています。これもまた、京町家らしい風景のひとつだと思っていて。」
———置かれている家具や設えはどのようにセレクトされたんでしょうか?
三川さん「ノートを保管するために使っている古いタンスは都市デザイナーの杉田真理子さんが手がける『Bridge Studio』から譲り受けたものなんです。元々反物を収納するために使われていたとみられるタンスで、鍵がついているんですけど、肝心の鍵そのものが失われていたので鍵屋さんに交換してもらいました。」
田貝さん「去年12月には京都大学の学生から『イベントをやりたいので場所を貸して欲しい』という相談を受けて、3日間限定のイベントのために学生たちが手作りしたこたつテーブルを持ち込んでもらいました。」
三川さん「3日間だけの開催だったので、イベントが終わったら全て撤収してもらう予定だったんですが、持ち込んでもらったテーブルが結構便利でそのまま置いてもらってる感じです。当初は机すらなくて座るためだけの板を自分たちで設置していたんですけど、こうして少しずつ人の手が加わって、来てくれた人によって場所が更新され続けているんです。」
偶然出会った路地の空き家。そこに眠っていた「月光町」という地名の由来を掘り起こしたことが、「自分自身を定点観測する」という月光観測所のコンセプトそのものを生み出すことにつながりました。
そして改修においても、完璧に綺麗にするのではなく、「最低限安全に使えること」を目指し、傾いた柱や剥がれた壁紙の跡といった建物の記憶をあえて残し、人との出会いを通じて育ててきました。
後編では、月光観測所が実際にどのように運用され、同じ路地で場所を持つ方々がどのようにその場所を活用されているのか。お二人のユーズドハウス活用に込める思いについても詳しくお話しいただきます。