Kyoto Dig Home Projectのテーマである「価値はユーザーが選ぶ」を実践する人に焦点を当てる「暮らしのディグり方」。今回紹介するのは、「仕事と遊びと生活が一体化」した仕事を「ナリワイ」と定義し、現代社会を人間らしく生きていくための方法論を提唱したロングセラー本『ナリワイをつくる』の著者である伊藤洋志さんです。
伊藤さんが考案・実践しているナリワイは、じつに多種多様。農家の繁忙期に助っ人となり収穫物の販売もおこなう「遊撃農家」や、モンゴルの文化や雰囲気を体験できるワークキャンプ「モンゴル武者修行」、〈風景をつくっていく野良着〉をテーマにした作業服メーカー「SAGYO」のディレクションや販売会など……。そんな数ある伊藤さんのナリワイのひとつが、京都市北区紫野にあるシェア別荘の「古今燕」です。
茶室の特徴を取り入れた数寄屋づくりという戦前建築の保全・継承を目的にした「古今燕」は、京都の「手仕事」の見事さを堪能できる一戸建て。伊藤さんが友人・知人の協力を得ながら約2年をかけてこつこつとDIYで手直しし、会員が別荘として利用するほか、落語や狂言などの催しが開催されています。
現在のようにDIYが気軽に行われるようになる前から格安物件を改装し、人が集う場所をつくり出してきた伊藤さん。ナリワイの1つである「床張り」をはじめ、自らの住まいを自分の手で整えることの魅力や、DIYで得られる精神的な効能、人の巻き込み方まで、じっくりお話をうかがいました。
INDEX
この方にお話を聞きました
合言葉は「床さえ張れれば家には困らない」
─伊藤さんは「ナリワイ」をつくる取組をされていますが、あらためて、どんな活動なのかを教えていただけますか?
伊藤さん
「個人のための新しい仕事をつくる仕事」「何か新しい自営業の仕事のかたちをたくさんつくる仕事」といった感じでしょうか。「ビジネス」という言葉はあまり好きではないんですが、「個人のための元手の小さいビジネスモデルをたくさん考案して実践をする仕事」をしているともいえます。たとえば、お寿司屋さんとかクリーニング屋さんの仕事って、誰かが編み出したから生まれたものですよね。いまでは、「お寿司屋さんをやってみたい」と思えば一定の修行を経て個人商店を開くことができます。そういう仕事のベースとなるものをつくりたい。他者と差別化を図るのではなく誰でも真似できるような複業前提のナリワイのモデルをたくさんつくる、というのが僕の活動です。
─伊藤さんの著書で、海外でも翻訳されている『ナリワイをつくる』では、〈生活と遊びの中から年間30万円程度の、他者と競争しない仕事を複数つくり、生計を組み立てていく方法論〉と説明されています。ナリワイをつくる、その目的は何なのでしょう。
伊藤さん
目指していることの一つは、あまり大きなシステムに依存しない仕事を通して健康増進していくことです。農業のライターをしているとき、なんでこんな元気なのかな?と思うくらいスーパー元気なアクティブシニアを取材することがあったんです。その方は、家族から「もうそろそろ危ないから畑行くのやめて」って言われて仕事をやめたことがあったそうなのですが、その途端に、弱ってしまわれたそうなんです。まさに、自分の仕事を通して健康を維持されていたんですよね。社会には「ビジネスで消耗した心身をマッサージやリゾートで回復する」という謎のサイクルがありますが、そういうのはやめて、仕事をしているほうが元気になるぞっていう仕事だけやることを目指したいなと。もちろん肉体的に疲労した後は温泉とかに行くんですが。気力が自家発電できるような仕事を目指している感じです。この数年は、遠隔で熊野古道のゲストハウスの運営もしています。
─なるほど。いま、伊藤さんが実践しているナリワイは、どれくらいの数があるんですか?
伊藤さん
最近だと、6月はさくらんぼと梅の収穫販売、7月はモンゴルでキャンプイベント、8月は桃の収穫販売、9月はまたモンゴルのキャンプがあって、10・11月くらいがみかんの収穫販売。その間にいろいろな仕事が入ってくる感じです。たとえば、いまは仲間と3人で「SAGYO」という野良着をつくっているので、農業現場でフィールドテストをしたり、商品の構成と広報をあれこれ考えたり、京都市内にある複合施設の「kumagusuku」に開設した販売拠点の世話をやったり、各地で販売会をやってくれる小売店さんに応援に出向いたり、また自分自身でも販売会を開いて店番もします……。あとは「全国床張り協会」としてワークショップの依頼があれば、講師をしたりしています。元はライターだったので今も原稿を書くこともあります。 この数年は、遠隔で熊野古道のゲストハウスの運営もしています。
─「全国床張り協会」のHPには「床さえ張れれば家には困らない」が合言葉だと書いてありますね(笑)。
伊藤さん
自営業をやっていると、このご時世やっぱり固定費を下げることがとても大事になってきます。とくに僕は儲かるか儲からないかを優先順位3番目ぐらいでやっているんですが、固定費が高いとそんなことは言っていられない状況になりがちです。つまり、物件は安ければ安いほど良いということになるわけですが、だいたい安い物件って床が傷んでいたりひどいケースだと朽ちていることも珍しくない。ならば、床を自分で直そうと思い、床張りをはじめました。そうしたら意外と依頼がくるようになって……。床を張り直そうと思って業者に見積もりをとってみたら面積によっては100万円ほどかかる。そんなときに、「そういえば、あいつ床張れるらしいぞ」みたいな感じで声がかかったというのが最初です。
床張りは楽しい遊びにもなるので、ワークショップというかたちで床張りの技能を広めています。現場が学校というスタイルの実習教育、これもナリワイですね。練習台とはいえ、結構きれいな床が仕上がる。だいたい8畳の部屋で作業は1日、材料費は手頃な杉材の床板を使えば30mmの分厚い床板でも1畳あたり10,000円くらい。杉は柔らかいから加工もしやすいし転んでも比較的痛くない。さらに、触った感触が暖かいんですよ。ただ、これも近年ようやく実用されるようになったもので、以前は、プロの大工さんは杉材は凹みやすいし、ましてや無垢材は反るから仕上げの床に使うようなものじゃないという認識の方が多かった。今は無垢材の乾燥もしっかりできるようになってきているし「住んでいたら床は凹む」という前提を受け入れられる施主であれば、杉の床は踏み心地は良いし、暖かく暮らせると思います。特に裸足で歩いた時の触り心地が素晴らしい。無垢材なので、汚れてもヤスリがけすれば消えますしね。
─床張りは素人にはハードルが高く感じますが、できるものですか?
伊藤さん
原因究明が難しい雨漏りとかだと高所作業も必要で屋根から直す必要があり難易度が高くなってしまいますけど、床を直すのは丁寧にやれば素人でもいい仕上がりにできます。高所作業もないですし。あと、床張りができると、今度は棚をつくるとか、ちょっとした縁側をつくるといった応用もできます。ワークショップの参加者には、そのあと地方に移住して、自分で空き家を購入して直して住んでいる人もいますね。
施主の趣味全開の戦前建築をDIY
─今回、お邪魔している会員制のシェア別荘であり一棟貸しギャラリーである「古今燕(こきんえん)」も、伊藤さんのナリワイのひとつなんですよね。
伊藤さん
そうですね。でも、会員制っていうほど仰々しくはなくて。きょうは2階で「狂言とラオス料理の夕べ」というイベントが開かれます。
─狂言とラオス料理……すごくユニークな取り合わせですね。
伊藤さん
大学時代のクラスメイトで、「古今燕」の保全会員でもある友人の河田全休さんが狂言師をやっているんです。河田さんはサラリーマンネタで新作の狂言をつくるという特殊な才能を持っていて。きょうはラオスで生物学調査を経て琵琶湖の湖魚を使ったラオス料理をつくっている「小松亭タマサート」の小松聖児さんがフルコースを用意してくれるんですが、河田さんも淡水魚をネタにしたサラリーマン狂言を披露する予定です。
─「古今燕」をはじめたきっかけは?
伊藤さん
僕は京都の大学院を卒業して東京の会社に就職をしたんですが、卒業後もよく京都に遊びに来ていたんです。でも、友だちもだんだん卒業して泊まれる場所もなくなってしまった。京都って宿がすぐに埋まってしまうし、仕方なく大阪に泊まることがあったときに、「10人ぐらい集められたら、月数千円で京都で家を借りるとかできそうだな」と考えたんです。そうしたら、友人が「茶人が建てたっぽい面白い物件があるぞ」って教えてくれて。それがこの船岡山の麓にある物件でした。家を借りたのは2009年だったから、もう15年前ですね。
─戦前に建てられた一戸建てですが、茶室の建築様式を採用していてかなり変わった細工が随所にありますね。
伊藤さん
この床柱なんかも、かなり特殊ですよね。通常の茶室ではあんまり使わない床柱を使う試みがなされているようです。このあたりは花街の上七軒にも近いので、昔はお金持ちの旦那さんが芸妓さんのためにちょっと趣向を凝らした家を建ててあげるというようなことがあったらしいんです。手仕事の良さというか、施主の趣味全開で建てられているというか。
─借りたときはどんな状態でしたか?
伊藤さん
かなりボロボロでした。畳も傷んで、台所部分の昭和のプリント合板の床もたわんでいたりして。僕は自営業なので1週間ぐらい時間をつくっては東京から京都に来て少しずつ直していくというのを繰り返しました。だいたいきれいになるまでに2年弱くらいかかったかな。
─この押入れの設え、とてもすてきですね。
伊藤さん
これは「古今燕」に滞在したアーティストが描いたものなんですよ。キッチンのタイルは自分たちで貼りました。昭和に建てられた家によくあるタイプのキッチンだったんですけど、それは撤去して、たまたま出会ったタイル職人になろうとしていた方にお願いして一緒に直しました。
伊藤さん
あと、いまは玄関の壁を直そうとしているんですけど、茶室に造詣が深い花人である友人が「滞在と交換で時間があるときに材料費実費で直すよ」と言ってくれて。 いわゆる町家リノベーションみたいに大規模な改変はしない方針で建具を磨いたり既に改変されていた台所の修繕はやってきたのですが、壁も昭和に流行したケミカルな綿壁になっていて本来の姿でもないのでもう一回リニューアルして、新たな会員を募ろうかなと思っているところです。
DIYで得られる「生きる自信」
─「古今燕」は戦前建築をいまに伝える貴重な存在ですが、伊藤さんが中古住宅の改修をはじめたのは、どんな経緯からだったのでしょうか。
伊藤さん
2007年に東京・世田谷区の一軒家を改修したのが最初だったんですが、そのときは「何かやりたい、そのためには何かやりたい人が集まる場所が必要だ」と思い立ち、家賃を負担できる有志を募ってスペースを運営することにしたんです。ただ、その家はほんとうにボロくて、天井の板も外れていました。「これで貸すんか」と思いましたけど、とにかくめっちゃ安くて、渋谷からバスで10分ちょいくらいで庭があって土間もあるという物件で。毎週土日にメンバーで集まって直していきました。
伊藤さん
当時、僕は20代なかばで会社に勤めていたんですが、人間関係は社長と社員とお客さんだけというような状態で、友だちも増えないし、会社のキッチンでパスタを茹でて非常階段で食べるという不健康な生活を送っていたんです。でも、一軒家をみんなで直して、何かイベントを開いて一人食材費1,000〜2,000円ぐらいでBBQしたりごはんをつくって解散、みたいな日々がはじまったことで、いろんな会話が生まれたし生活がいきなり広がったんです。物事に対する好奇心が衰弱していたのが蘇ったという感覚がありました。
─そのときのDIYの経験が、その後のキャリアにも影響を与えた?
伊藤さん
それはめっちゃあると思います。自分で家を直せるっていうのがわかれば、家計運営でかなりの人生のバックアップになるんです。いまは地方の家はものすごく安いから、自分で直せたら余生を過ごせそうだなという安心感を持って活動に取り組むことができるし、家を直すことができれば仕事が減ったとしても空いた時間で家を直しておけばそれが自分の仕事になります。仕事を自給できるわけです。東京でもそういう物件を探してはいるんですけど、この数年は不動産バブルもあってボロ物件の供給が少なくてなかなか見つかりませんね。
あと、DIY経験の大切さという意味では、「全国床張り協会」のワークショップに参加した人を見て、少し大げさかもしれませんが「生きる自信」になっているように感じることがあるんです。床張りをやりはじめると、最初に「自分でやっていいものなんだ」という可能性にまず驚きがあって、「意外と自分でできるやん」と自信がついていく。自分の手で住宅をどんどん良い状態に持っていけることに、すごく新鮮味があるみたいなんですよね。あと他人と協力できる楽さがある。
─そういう実感を伴った自信って、普段の生活では得難いものですよね。
伊藤さん
家を建てるのに仮に3,000万円が必要だという話になると「どうやって3,000万円貯めればいいのか」と途方もない苦行のように思ったところに低金利の住宅ローンがいい顔して待ち構えている。しかし人口減少と建築修繕費の高騰が待っていることはあまり教えてくれない。床をばーんと張って「なんかもう十分居心地のいい生活環境ができた」と思えると、いろいろ人生に希望が持てるというか。「これは良いぞ」と思える暮らしが手の届くところにある、という実感が得られる。それが自信に繋がっているような感じがします。
それに、現実には人口に対し到底全部再生することもできないぐらいの数の空き家がある。京都市でも立地を工夫しつつ、数百万円ぐらい出して空き家を買って直せば、家賃に困らない生活を送ることができますよね。家賃に困らないというのは気分的にも余裕が出てくるのだと思います。しかも身につけた修繕スキルはそうそう失われない。ここが単なる資産運用とは明確に違います。
「買う」ではなく「貸し借り」の考え方
伊藤さん
和歌山県の熊野古道の山村で10年以上使われていなかった2階建ビルを借りて、みんなでせっせと直し、ゲストハウスにしました。限界集落なので店番をしてくれる人があまりいないのですが、それならば、といろいろな人にゲスト店主として住み込みで店番をしてもらっています。
伊藤さん
今年は、ヨーロッパ旅行から帰ってきた人が、旅先で出会ったフランス人のパートナーと2人で住みながら店番してくれていました。最初は飲食部門は稼働していなかったんですが、たびたび旅人がドアを開けては「ここカフェ?コーヒーはない?」と聞かれたので、飲食業許可を取っていた1階のラウンジでフランスのお菓子を出すカフェをはじめました。春と秋に集中して店を開いて旅行資金も貯まったみたいです。先日再びヨーロッパに旅立って行きました。そういうちょっとイレギュラーな動きをしている人の仕事をつくる場所を提供できて、よかったと思いました。なんだか詩的でいいですよね。旅の途中で母国だけど未知の土地の山の中で小さなゲストハウスとカフェを一時的に開いて旅人をもてなし、また自分たちも旅に出て行く。
─仕事をつくる場所の提供……伊藤さんならではのナリワイという感じがします。
伊藤さん
「古今燕」も熊野のビルも、「仕事道具をみんなで共有して、それぞれの能力を生かして、ちょっとお金が稼げたらいいんちゃうか」ぐらいの感じなんです。
この感覚とも似ているかもしれないんですが、モンゴルの人って、物を所有することにそんなに重きを置いてなくて、「自分にはどれだけ貸してもらえるものがあるか」というほうにかなり重きを置いているんですよ。そうすると、必ずしもモノを買わなくても良いという状態になる。
─それは面白い価値観ですね。やはり遊牧民ならではの考え方なのでしょうか。
伊藤さん
断定できませんが所有できる物量に限界のある遊牧生活で編み出された知恵という感じはします。所有しなくても何とかなるならそれでOKというか、基本的に「貸す」という行為が前提にあるんです。だから「貸して」と言われたら、貸さない側が頑張らないといけないルールになっているんですよ。たとえば、僕が「ちょっとその時計を貸してください」って言ったとしたら、ただ断るだけでは許されなくて、「親の形見なんで」とか「明日待ち合わせがあってないと困る」とか、具体的な理由をつくらないと断れない。もちろん借りる側も頼むタイミングを選ぶとか、様々な交渉を仕掛けます。いずれにしても貸し借りがとても起きやすい文化なので、その結果、お金がなくてものが買えなくても、交渉次第でものを借りて使える状況になっているんです。
つまり、お金を持っている人だけがなんでもできる世界にはならないような、ちょっとしたコントロールがかかっている。基本が「お互い助け合っていくと楽できている」というかたちになっていると思います。
─それはDIYするときにもとても助かりそうですね。あまり使い道のない道具が必要になる場面が多いですし。
伊藤さん
プロでないかぎり毎日工事するわけじゃないですからね。「全国床張り協会」でも切断面の精度をあげるためのスライド丸ノコというそこそこ高価な工具を持っているんですけど、ワークショップに1回でも来た人には、1週間千円で貸すような仕組みになっています。新品買って使ったらフリマアプリで転売するという仮想的貸し借りの方法もありますが、直接貸し借りするほうが楽だし何か面白みがある。
みんなが普通にDIYできる「文化力」を
─伊藤さんは、空き家のリノベーションをする場合、どれくらいの予算を想定されていますか?
伊藤さん
お店をやるというような早く完成形に持っていかないといけない前提だと、やっぱりそれなりにお金はかかってしまいますよね。僕がやっているプロジェクトに関しては数年とかかけて徐々に良くしていくというようなペース感なので、一気に数百万円とか数千万円もかけるということはありません。材料費を数万円、10万円とかその都度かけていくだけです。手間はかかりますが土壁の土とかなら庭から取って石灰と混ぜることでもつくれます。一方、これは家賃が安い物件だからできることでもあります。そこそこの家賃なら悠長なことも言ってられないので早めに稼働させる必要は出てきます。それでも段階的にお金をかけて修繕していく、という方法は可能でしょう。
─時間をかければコストは安くできる、ということですか?
伊藤さん
そうですね。逆に納期が決まっていると相応のコストは必要です。建物って、世間的には家電のように「完成品を買う」という感覚が強いですよね。常識的にはそうなると思うんですが、でも、昔の農家さんの生活について書かれた本なんかを読むと、お金がないときは土壁で済ませて、お金がたまってくるとその上に漆喰を塗って白壁に変えるといった暮らしをしていたようなんですよね。そういう発想で、少しずつ時間をかけて仕上げていくという方法もあります。最初にローンを組んで完成形に持っていくのか、それとも時間をかけて仕上げていくのか、好きなほうを選んだらいいと思いますね。
─なるほど。あと、「古今燕」もそうですが、低コストを実現するには一緒に家を直す手伝いをしてくれる人も必要なのかなと感じますが、どうやって手伝ってくれる人を呼んだらいいものなのでしょう。
伊藤さん
まずは友だちに声をかけて、「いい汗かいて終わったら銭湯に行って、庭でバーベキューしましょう」みたいな感じで遊びの延長でやっていました。たとえば、たまたま空いている日に「ちょっとブロック塀を近所で壊すんですけど、どうですか」って言われたら、行きます?
─気にはなります(笑)。
伊藤さん
「1時間くらいだったらやってみてもいいかな」みたいな感じですかね。私は力が余っているので遠方でなければ確実に行きます。思い切り壁を壊したい。そんな感じで、何か参加したくなるような楽しいイベントを考えることは大事ですよね。あと、家っていろんな人が参加できる媒体なので、そういう意味では家を直すというプロジェクトを通して友人関係が生まれるかもしれないというのも魅力のひとつかもしれません。
─たしかに。ただ、住宅は自分のパーソナルスペースの話だから、そこを直すのを人にお願いしたり、人が集まる場所にしてつくっていくという考え方自体が日本にはあまりない気がします。
伊藤さん
そこは課題ですね。ただ、そう難しいことではない。ヨーロッパの人はホームパーティが好きでよく開いていますが、あれで住宅を学習するみたいなんですよね。いろんな人のホームパーティに行けば、おのずといろんな家の内装を見ることができるから、総じて施主としてのリテラシーが高まる。日本人はあまりそういうことをしないので、いきなりぶっつけ本番で施主になって、上手に要望が伝えられずに建築家も困ることが多いと思います。でもさすがにホームパーティぐらいはやろうと思えば真似できる。
─住宅を見たとしてもモデルハウス止まり、というケースもありそうです。
伊藤さん
そうなんですよね。それでまたモデルハウスみたいな似たような家が増えていくって感じがしますね。ですので、賃貸にしてもそうじゃない家を選んでいきたいところです。今の東京の自宅も古い木造戸建てで窓は木サッシで雰囲気はとても良い。ただ、よく「寒そう」って言われるし、実際そのままだと寒いんです。そこで、自力でもう一枚透明アクリル板を木サッシの枠に嵌めてペアガラス仕様にしました。一工夫できるかどうかで物件の選択肢は広がります。そのへんは文化の差が出るというか。一口に文化力と言ってもいろいろな側面があると思うんですが、床を張れる人がまわりに多ければ「普通にできること」という相場観になる。それがひとつの文化力なのではないかと思います。
たしか東欧のどこかの国では「男たるものキッチンを自作できなければ一人前ではない」みたいな考えがあるらしくて、男性は人生で最低一度といわず何度もキッチンをつくると聞いたことがあります。専門的な教育機関とかがなくても、みんなそれができるから若者も年長者から教えてもらったりして水準が高くなる。僕は、そういうことに結構やりがいを持っています。みんなが普通にできることが増えていく。そんな社会になっていけばいいなと思いますね。
最後に:「多拠点生活」でのびのびと暮らす
─著書『イドコロをつくる』でも、正気を失わないために「イドコロ」を意識的に確保することを勧めていらっしゃいますよね。本のなかではイドコロの例として京都の公共空間を紹介されていますが、伊藤さんが考える京都の魅力はどんなところにあると思いますか。
伊藤さん
まち全体の時間の流れがある程度ゆったりしているので、人生の将来像を検討するには良い場所だと思います。速度のペースや効率性が人間に合わせられているというか、そういう個人のお店も残っている。あと、鴨川も良いですよね。行けばのんびりできる場所がどこからでもアクセスしやすいというのは、とても大きい。まちの中で帯状に存在するっていうのも、意外と重要な構造ですよね。とりあえず東西方向に走れば川にぶつかる。『イドコロをつくる』では「のんびりできるパブリックスペースを意識的に探しておいたほうがいい」ということも書いたんですが、逆にいうと例えば東京などでは意識していないとそういう場所を見つけられないんですよ。都市の規模も大きいし、とりあえずどっちかに走ればのんびりできる川にぶつかる、ということはない。
─伊藤さんが「イドコロ」にしていると言いますか、拠点にしている住居というのは、いまは何軒ありますか?
伊藤さん
京都の「古今燕」と、熊野のゲストハウス、東京では自宅とシェアオフィスを借りているので、その4つですかね。
─都会と地方に住居を持つ「二拠点生活」も広がっていますが、拠点を複数持つ生活についてはどのように捉えられているのでしょう。
伊藤さん
まず、その場所ごとに人間関係がまったく違う。これはいろんな意味で良い面があると思っています。たとえば、居場所がひとつしかないと、その場所の人間関係がすべてになってしまって精神的にしんどくなってしまうけど、拠点をいくつか持っていると何かもうちょっと広い気分で暮らせるというか。
─よくわかります。関係性に押しつぶされそうになっても、別に拠点を持っていると、気持ちを逃がすことができるような。
伊藤さん
仕事がハードで会社の非常階段でパスタを食べていたときのことを思い出しても、世の中もっと脱走できたほうがいいなと思うんです。最近減ったのか増えたのかもわからないですが、ブラック企業たるものが存在しつづけてしまう理由は、たいていのブラック環境では外の情報が遮断されがちです。そうすると、他の環境への想像力が断たれてしまい既存の環境に疑問を持てなくなるからだと思います。多拠点生活というのは、そういう意味では情報の遮断を自然に回避できる生き方のひとつではないでしょうか。