Kyoto Dig Home Projectのテーマである「価値はユーザーが選ぶ」を実践する人に焦点を当てる「暮らしのディグり方」。今回ご紹介するのは、空き家だった物件と出会い「ニワトリ小屋を敷地内につくりたい」という以前からの思いを実現され、「九条山シェアハウス」として運営しながら自らもそこに暮らす会社員の河本順子さんです。
「もともとペットなんてまったく興味のない人生だった」と語る河本さんですが、とあるきっかけからニワトリとの暮らしを体験し、その後人生が左右されるほど、ニワトリとの暮らしがかけがえのないものに変わっていきました。
「幼少期から病弱だった」と話す河本さんはこれまでどのような物件に住んでこられたのか?ニワトリとの出会いはどのようなものだったか?会社員という立場ゆえに通勤との兼ね合いは?物件の具体的な探し方や空き家改修の仕方などについてもうかがいました。
INDEX
この方にお話を聞きました
会社員
河本順子
大阪生まれ京都市在住。会社員。幼少のころから病弱で、30代前半まではアルバイトをしつつパラサイトシングル生活を送る。パソコン教室のインストラクターを経て、IT企業へ就職、趣味で登山や写真をはじめたことをきっかけに生活自体への興味関心が深まり現在に至る。2012年から大見新村プロジェクト参加。週末は山奥で畑作業と村づくり。2013年から2022年まで、ウェブメディア『HAPS PRESS』編集長。2019年から九条山シェアハウス主宰
幼少期から病弱だった
——まずは河本さんご自身のこれまでについて教えていただけますか?
生まれは大阪です。高校まで東大阪にいて、その後父の仕事の都合から家族で滋賀県に引っ越しました。大学は京都まで通っていました。日本史を専攻していて、卒業後もそのまま研究したかったけど、小さい頃からアトピー持ちで身体の調子もよくないし、どうしようかなと思ってました。
ただ、一人暮らしはしたいなと思っていたので、京都で下宿しながら、パートタイムで大学職員をしたり高校で非常勤講師をしたりしていました。それが5〜6年続きました。でもやっぱり病気がひどくなって、実家に戻って暮らすことにしたんです。
今思い返すと、滋賀県に引っ越ししたときに親が新築住宅を建てたんですが、そこで暮らしていた頃からアトピーがひどくなっちゃったんですよね。もしかしたら新建材の影響だったのかもしれません。
実家にいるとき、手に職をつけようと、近所のパソコン教室でインストラクターとして働き、資格をとったんですね。職業訓練所で溶接の資格も取得しました。昔から好きだったフランスの作家・哲学者シモーヌ・ヴェイユが工場労働をしながら文章を書いていたことに触発されて、工場作業の仕事を探したんです。ヴェイユは34歳で亡くなってしまうんですが、当時同じくらいの歳になっていて、何かしなければって思っていたように思います。
当時2000年代初頭に当たりますが、探してみると、条件にしたかった朝昼晩のシフトで三交代制度をとっているのが某外資系IT企業しか見つからなくて。でもそんな大企業に入れるわけないよなと思っていたんですが、どういうわけか採用担当の方が「とってみようか」となり、派遣として入社することができました。ただ工場勤務は叶わなくて、研究所での事務方としての採用でした。京都で一人暮らしをしながら、滋賀県のその研究所に勤めました。CADを使ってパソコンの基板デザインなどをしていましたね。
——現在もその研究所に勤めているのですか?
いいえ。当時はちょうど日本でハードウェア産業が下がり気味になる時期と重なっていて、研究所や工場も切り売りされて、国内外の大手メーカーに売却されていきました。人気のノートパソコンのブランドも手放して、どんどん人員も削減していきました。
そういう状況を憂いた研究所の所長が自身で会社を興したんです。「UWB」という次世代の通信技術をいかして製品開発をすすめるベンチャー企業。チップから開発しているのは日本初みたいです。私はそこに勤めて現在に至ります。20人に満たない小さい会社なので、私の役割はなんでも屋みたいなものです。メインは基板実装のための資料づくりと部品購買ですかね。
会社は滋賀県にあって、平日は毎日京都から通勤しています。フレックス制なので、10時から19時の勤務ですね。
空き家だった物件から、空き家になった物件へ
——すでに物件の話も出てきましたが、河本さんはこれまでどのような住宅に住まわれていましたか?
35歳くらいのときに初めて一人暮らししたときは、不動産情報サイトで通勤に便利な京都駅に近く安い物件を探して、典型的なワンルームアパートに住んでいました。
狭かったので、大型家電を入れたら寝る場所しかないなと思い、冷蔵庫と洗濯機を買わなかったらどうなるかに挑戦してみました。京都駅にも近かったので、近所にお店も多く、買い物もその日必要なものしか買わなくても困らないので冷蔵庫はいらないなと。副産物的に保存食に興味が出ました。一方で洗濯機なんですが、洗濯板で洗うのはいいけど、干すのが大変で、なかなか乾かない。洗濯機はやむなく買って、最近までこのシェアハウスで故障するまで使っていました。
次に住んだのが、その近くで空き家になっていた、東寺の近くの長屋。家賃もあまり変わらなかったんです。当時住まわれていたのが一番奥だけで、3軒連続して空いていました。でも応募がなかった。不動産屋曰く、大学生が住むとしたら周囲に空き家が多いので親御さんが心配するみたいなんですよね。私は気にしないし、むしろ路地奥で京都らしく、静かでいいなと、その物件が気に入ったのですぐに入居しました。そこに6〜7年いました。
そしてこの物件です。山科区で最寄り駅は地下鉄東西線蹴上駅です。不詳となっていますが、築100年以上の一軒家です。確か大家さんのお祖父様が住んでいらしたと聞いています。登記上は100年前くらいだけど、もっと前から建っていたとかいう話を聞いたことがあります。木造2階建。お隣が歴史ある神社で、京都一周トレイルのコースにも位置する緑に囲まれたとても静かな場所です。
——今回の物件はどのように探しましたか?
実はこの物件は不動産屋さんを通してないんです。たまたまFacebookを見ていたら、住んでいた人が退去してここが空き家になるので、住む人を募集しますという投稿がシェアされて目に止まったんです。直感的に「なんだか面白そうだな」と思って、「見に行きます」と連絡をとりました。
正直、前の東寺時代の家の居心地がよかったし、別に引っ越したいという意識はまったくなかったんです。そのときからニワトリを飼っていたので、その小屋をつくりたいという思いはずっとありました。前の物件は玄関がニワトリ小屋化していたんですが、もっと広々と土のあるところで飼いたいなと。
ニワトリとともにある暮らし
——ニワトリ?
はい。ちょっと込み入った話になるんですが、京都市左京区大原に50年前に無住集落となった大見という地域があるんです。そこを活性化しようという活動に参加していて、その一環で、屠殺ワークショップを体験したのがきっかけとなってニワトリを飼うようになったんです。
屠殺ワークショップのときは、私が運営側でバタバタしていたのもあるんですが、講師の屠殺する所作が手慣れていらっしゃることとあまりに綺麗だったことで、ひっかかりのないまま、あっという間においしい鶏鍋ができていたんです。自分が期待していた「命をいただく」というストーリーとギャップがありました。勝手な話なんですけどね。
そのモヤモヤを率直に講師に伝えたら、「ニワトリ飼ってみますか?自分で屠殺してみますか?」と言ってくださったので、「ぜひ!」と連れてきてもらったのが最初の出会いです。
自分自身、ペットなんてまったく興味のない人生だったので驚くことも多くて。全く知らなかったのですが、ニワトリは懐くし、賢い。人間の話す内容をわかっていると思います。
結局、殺して食べる気まんまんだったのが、ニワトリと3日も一緒にいたら、ころっと変わってしまって「殺せへんわ」となってその後ずっと飼うことになりました。
——ニワトリは何羽いるんですか?
現在は5羽ですね。
——ニワトリとの生活はいかがですか?
自分の価値観がすごく揺らぎます。ニワトリは「食べて当然の家畜」という一般的な価値観があるので、「ニワトリをペットとして飼うことはおかしい」とまわりから言われているような感覚になるんです。「屠殺しないの?」「名前つけちゃだめだよ」など、実際いろいろと言われてきました。
そういう意味で、ニワトリと一緒にいると、「ペットって何?」「家畜って何?」と一般的な先入観と常に向き合うことになるんです。私自身ずっとニワトリが好きで好きで仕方ない、という人間ではなかったし、肉も食べますし、いろんな意見をもらうたびに、自分の価値観が揺らぐんですよね。そういう経験ができるというのが、すごく貴重です。
ニワトリとの生活でいろいろと視野が広がりました。
——それゆえニワトリ小屋がきっかけになって引っ越したという感じなんですね。
ニワトリがもっと放し飼いにできる、小屋もつくれる、そして通勤ができる。その条件にあうところがあれば引っ越したいなと思っていました。でも「駅近でニワトリ小屋を建てられるところ?あるはずないなぁ」って。
改修の仕方、そして住み方
——不動産屋さんを通さずにこの物件の所有者さんといきなりお会いしたと思うんですが、どんな方でしたか?ニワトリの話はすぐできたのですか?
とてもいい方でした。大家さんは京都市内の北のほうの閑静な住宅街にお住まいの方ですが、この物件の周辺は、先祖代々守り継いできた場所という責任感をもっておられる方でした。話を聞く限りは、「自分が所有者として、住まないのならきちんと管理しなければならない」というお考えがあるようです。「なるべく長く住んで欲しい」ということは強調しておられました。
それゆえニワトリ小屋も許可していただいたのかなと思います。ちゃんとお金をかけて改修もしてくださいましたし、いつも家の状態を気にかけてくださっています。
——この物件の改修はどのように進めましたか?
入居を決めた段階では正直ボロボロの状態でした。家の中は暗いし、サッシも歪み、 風呂トイレはカビも多かったです。入居を決めた後で、大家さんが水回りなどはお金をかけて直してくださいました。
私たちが手がけたのは、ニワトリ小屋、キッチンのカウンター、そして私の部屋のフローリング、共有部屋の棚などです。知人である、設計施工のできるLunch!Architectsの和田寛司さん、そして大工である青島工芸の青島雄大さん【参照:東京から京都・西陣へ移住して子育て。賃貸町家を改修費200万円で住み継ぐ | Kyoto Dig Home Project】に手伝ってもらいました。
カウンターやフローリングなどは青島さんにお願いして、カウンターにはニワトリを模した造作も入れていただきました。
ニワトリ小屋の設計は和田さんにお願いしました。ニワトリのことをよく知る私じゃないと分からないことが多くあり、設計には時間を要しました。例えば、蛇もイタチもニワトリを狙うので、床を掘って入ってこれないように高床式にして欲しいと提案しました。そしてわずかな隙間があると獣は侵入してくるんですよ。厳密につくる必要があって。和田さんと何度も意見交換をしてチェックしてと、密にやりとりしながら設計を進めていきました。
それから、ニワトリたちが私をこの家に連れてきてくれた、という思いがあるから、ニワトリの様子が家の中からも常に見える場所にニワトリ小屋を決めました。
設計がきちんと決まったら、施工はあっという間でした。和田さんと青島さんのお二人でたった一日でニワトリ小屋は完成しました。
1畳半くらいの大きさで、単管を使い、家の軒と柱を支柱代わりに使いました。
みやこ杣木【参照:京の地産材 みやこ杣木・みやこそまぎ】の助成金も使っています。
「もうマンションには住めないと思います」
——改修した物件にどのように住まわれていますか?
2019年6月頃から2〜3か月ぐらい大家さん側での改修工事があって、その後2019年9月後半に引越し前の改修工事として、私の部屋のフローリング敷をしました。10月1日に引っ越しをして、その後住みながら、ニワトリ小屋、台所のカウンター、共有部屋の棚、玄関と、お互いの予定が合うときに少しずつ改修をすすめながら、という感じでした。見てもらった通り、全てを改修しているわけではなく、もともとの状態からほとんど変わっていないところもあります。また一人で住むには広すぎることもあり、シェアハウスとして3人で暮らしています。「九条山シェアハウス」といつの間にか呼ぶようになりました。
京都市内でも「本町エスコーラ」や「壬生ハウス」といった面白い暮らし方がなされているシェアハウスがあって、私自身関わりがあり、「みんなで暮らす」ということに関心を持っていたんです。だからいつかシェアハウスをしたかったんです。
入居者募集はまずFacebookで呼びかけて、決まらなくて、「ジモティー」というオンラインサービスで呼びかけたら結構手を挙げてくれる人が出てきました。ジモティーを通して2人が決まったんですが、その方々はもともとの予定から数か月で退去。その後2020年2月くらいから入れ替わりで知り合いだった人が入ってくれて今にいたります。
——実際住んでみてどうですか?
ニワトリ小屋が建てられたことは言うまでもなく、利便性もいいし、緑がすごく多く、そしてとても静かなので満足しています。
会社までは徒歩10分で蹴上駅に到着、山科駅を経由して地下鉄とJRで通勤しています。アクセスがいいです。
この家はいままで、1階部分にはクーラーがありません。寝室にしている2階には入れていますが、緑が多いせいか実際クーラーがなくても困りません。ひさしがあって家の陰をつくってくれているのもいいんでしょうね。温度が違います。
日本家屋はいいですね、もうマンションには住めないと思います。
以前一人暮らしをしていたとはきはいろんなところに出かけていました。楽しかったんですが、もしかしたら寂しかったのかもしれません。ここで同居人たち+ニワトリと暮らしていると、特に話をするわけでなくてもなぜか落ち着きます。外に出かけなければと思いこんでいた変な欲求はどこかへ行ってしまいました。人間ってつくづく社会的な動物だなと思います(笑)。
——ご自身の病気はどうですか?
ここに住んでからアトピーが随分軽くなった思います。環境的に負荷がかかりづらいのかもしれません。
アトピー性皮膚炎というのはアレルギー疾患のひとつで、それは分かりやすくいうと免疫機能の異常状態です。ですから生活環境の違いは大きいんです。
思い返せばニワトリと暮らし始めた東寺時代あたりから、アトピーの症状は軽減していきました。ニワトリとの暮らしで免疫力が高まったことが大きいのかなと思います。
自分の都合というより「この家のために」
——河本さんの目から見て空き家を活用しやすくなるために何がどうなればいいと思いますか?
この物件の大家さんとお話して思ったんですが、ご自身ではこの物件の価値を過小評価されているなと感じました。そういう認識でおられる大家さんは多いのかもしれないので、そこに提案できるといいかもしれません。
それから、私は自分自身のDIY力はそれほどないけど、まわりに「自分でつくってしまえばなんとかなる」という考えとスキルを持った人が多く、力になってもらいました。恵まれているんだけど、そうではない人も多いと思います。
——この物件を改修したときはどうだったのですか?
この物件の改修は、周りの友人、特に大見新村で一緒に活動していた友人で、DIYや自分でなにかをはじめたいという気持ちがある方たちに引っ越しとDIYの話をしたら、「やりたい」「手伝う」と確か、勝手に集まってきてくれました。
「フローリングもやったことがないから、やってみたい」と。私もですが、みんなフローリング工事ははじめての方ばかりでした。大工の青島さんにアドバイスをもらいながら、楽しく作業ができました。5人位あつまってきてくださったと思います。
やってみてとても楽しかったです。またやりたいですし、家の中をすこしずつでいいから自分で直したり、つくったりしていく楽しさをこれからも見つけていきたいと思っています。
——そういう楽しさがわかると、中古物件に住むハードルも低くなりますね。
基本的に、誰だって条件のいいところで住みたいですよね。お金で解決できる人は困らないでしょうけど、残念ながらそうでない人は譲歩しないといけない。でもそのときに、いやいや条件を飲むんじゃなくて、「ここはこうできるんじゃないか」という発想が生まれるといいなと思います。
そういうときに、たとえば知人に大工さんがいるとか、スキルを持っている人たちの存在を知っておくだけでも変わると思います。それはちょっとハードル高いなという人もいるでしょうし、正直一般的には誰に頼んだらいいか全然わからないし、いざ頼んでみても、見積もりをとってみてすごい金額にびっくりすることもあるでしょうしね。
強いて言うと、DIYをしたいというときに大工さんを紹介してくれるようなサービスがあると空き家活用ももっと進むかもしれませんね。
——自分らしい暮らし方を叶えるためのポイントはなんでしょう?
家を「消費対象」というよりも、自分が大事にするんだ、という考え方が大事なんじゃないでしょうか。
——賃貸物件だけど「自分が大事に」という思いを持てるものですか?
私自身もともと借家派なんですよね。所有してしまったら動きづらくなる。仮に私がここで死んでも、借家なんで後腐れがないじゃないですか。万が一ここを追い出されたとしても、身についたものを持っていけばいいだけ。でも自分が住んでいる間は、大事な暮らしの場として「自分の家」という思いで暮らしています。
中古物件というのはいろいろ欠点もあるかもしれませんが、ガタつきや壁の傷なども含めて、その家の歴史を感じたり、探せば愛着をもてる要素が見つかる気がします。お気に入りの場所や環境をたとえ一つでも見つけることができたら、あとは工夫次第で楽しい生活がおくれる可能性をたくさん秘めているのでは、と。
こういう暮らしが安くすぐできるのも、中古の借家の良さかもしれませんね。
大家さんとのやりとりに関して言うと、自分の都合というより「この家のために」というお願いの仕方をしていますね。たしかにニワトリ小屋は自分の希望でつくりましたが、そうしてここで長く暮らせるということは、結果的にこの家を活かすことにつながると思うんです。住みながら手を入れる必要のある箇所も増えてきていますが、改修についてのやりとりもそういう考えで進めています。「自分がこうしたい」というより、「この家をどうすべきか」を大家さんと一緒になって考えながら、より良い暮らしを続けていく、というのが私たちと大家さんのお互いにとっていいんじゃないかなと思っています。