一度は住みたい、そして住みつづけたいまち、京都。狭いようで広く、どの地域やエリアに住むか、悩ましいまちでもある──。
京都で編集者・路地活動家として活躍する、光川貴浩さんに「いま、京都に住むならどこが面白い?」と尋ねてみた。
世間のイメージからこぼれ落ちる情報を拾って、「住む」という目線から見た場合、意外なまちが輝き出した。
自分らしくいられる、お気に入りの場所を探して。まだ見ぬ京都のまちと出会おう。
第五回は、東山区「清水五条」。光川貴浩さんのエッセイでお届けします。
INDEX
いま、京都に住むなら「清水五条」が面白い
路地のまち
家の借り方も知らなかった新社会人。意気揚々と不動産屋を訪ねて提案されたのが清水五条あたり。その日のうちに、マンションを契約したわけだが、いま思えば、このエリアを提示してくれた営業マンに深く感謝している。
このまちに住まなければ、おそらく「路地を歩こう」なんて思わなかっただろうし、自分のほんとうの人生はスタートしなかったように思う。
「半分、趣味」と言い張ってきた路地歩きも、15年つづけると自分の想像を超えたご縁をいただく。つい先日、ある雑誌の企画で「皇族の方を路地ツアーしてほしい」という依頼を賜った。聞くところによると、日本文化を研究しているなかで、“どんつき(行き止まりの道の意)”という言葉を知りたい、というのである。このあたりは、京都市内のなかでもとくにどんつきの路地が多いが、それ以上に文化資産として語るべき路地が多い。
何気ない路地の風景は、ときに「宮崎駿が描くような」「ジブリの世界のような」といったことばで形容される。自分もそのように語ってきたわけだが、このまちにおいては単なる「懐かしい風景」以上の意味をもつ。
六原学区の弓矢町に「晴明辻子」と呼ばれる路地がある。中世のころ、「犬神人(いぬじにん)」と呼ばれる沓や弓矢を制作する職能集団がこのあたりに集住していたとされ(弓矢町という町名の由来でもある)、映画『もののけ姫』に登場する石火矢衆のモデルになったといわれている。
京都の路地は、ときにフィクションと思っていたような遠い世界とこの現実を接続してくれる。遠近法のとれた景観に重なるように、過去と現在とをつなぐ「時間の遠近法」がそこにある。
生活圏内から一足のばせば、清水寺、智積院、三十三間堂もある。京都国立博物館や河井寛次郎記念館も徒歩圏内だ。転出した今でこそ、いかに文化的に恵まれた環境であったかと気づくが、当時の自分はまちのなかにある細い道に夢中で、かいもく目に入らなかった。
路地といっても町家や長屋のような京都らしい景観ばかりではない。道が細いこと以外はこれといった特徴もない、フツーの住宅地。それでも、いつも足がくたくたになるまで歩いた。この先にまだ路地がつづいているのか。曲がり角のその先を知りたくて、ただひたすらに歩いた。
知らない道を見つけるたびに、驚きと感動を全身に感じていたと思う。路地を歩いているというより、路地に歩かされている、といったほうが正しいかもしれない。ただ、このまちの路地は、若い自分の“渇き”のような衝動に、解放感を与えてくれた。
その衝動を抱えたまま、京都市内の路地という路地を歩きはじめる人生がはじまるのだが、このまち以上の「路地のまち」がなかったことに、後年気づくことになる。
ごちゃまぜ
清水五条には五花街のひとつ、宮川町という花街がある。その宮川町の路地に住んでいた友人が、今度は町内の元置き屋兼お茶屋の建物に引っ越したと聞いて新居を訪ねてみた。
築数十年ほどの、お茶屋としてはわりと新しい部類の建物を改装し、ご夫婦とこども3人で住んでおられる。網代天井や亀甲竹の手すりなど茶屋建築の趣を残す建物を、ファミリー物件として魔改造している様子をみて、中古物件の新しい可能性を見た。
かつて舞妓さんが暮らした小間割りの間取りは、現代人には少し狭く感じそうだが、部屋数がほしい子育て世代にとっては意外と使い勝手がいいようだ。
家主は、数少ない路地のことがわかる友人でもある。彼は言った。
「路地は人の営みの蓄積です。結局、整然とされたまちというのはおもしろくない」。
さらに、アメリカの都市学者のジェイン・ジェイコブズを引き合いに出して、住みやすいまちの定義として「道が曲がりくねっていること」「住む場所や働く場所、食べる場所などがごちゃ混ぜになっていること」「古いものと新しいものが混在してること」といったようなことを教えてくれた。
京都ほど、それらを体現しているまちもないが、さらにこのエリアに惹かれる理由は、その言葉にほぼ集約される。
「人の手が入り続けたまちこそが住みやすい、おもしろいですね」と言った家主の言葉に、一票を入れて帰った。
かのジェイコブズの言葉にあやかって、このあたりの“ごちゃ混ぜ”的なところを紹介したい。
まず「櫻バー」に行ってみてほしい。バーではなく、居酒屋である。厨房の換気扇あたりに並んでいる巻物は、毎日一枚ずつ手書きされるメニュー表である。一人では広げきれないほどの大きな巻物に、見切れないほどのメニューが並ぶ。これといった名物があるわけではないが、なにを食べてもおいしい。
八百屋は「五馬商店」。祇園の名だたる料理屋さんがお得意様とメディアでもよく書かれている。新鮮で安い、それだけで感謝。
鮮魚店の「近幸」では、魚の煮付けをよく買った。海苔弁当は、鮭や鯖などいくつかの魚種を選べるのだが、京都産の白味噌でじっくり漬けられた銀ダラを推したい。
川魚の「のと正」もある。店頭に立ち昇るうなぎの蒲焼の香りに何度も打ちのめされた。生簀で泳ぐ鮎を炭火で焼き上げてくれる。淡水魚一本勝負というスタイルに、シンプルに惚れる。
肉屋は「大橋亭」がある。ふつうのコロッケよりちょっと値が張るが、通常の1.5倍はあろう大きさと、近江牛であることを考えると、むしろお買い得だろう。
銭湯は、この地域に「大黒湯」がふたつある。七条通のほうの大黒湯は、路地に面した小さな浴場。常連さんたちは、お地蔵さんの鐘を鳴らしていく。
そして、ハッピー六原というローカルスーパーがある。自家製の惣菜の種類と数に驚く。買うより、つくるほうがあきらかに高くなる。
編集という仕事をやっていると、「これが好き」ではなく「こういうものが嫌い」といった否定的な考えが企画を前進させる機会にたびたび出くわす。住む場所もそうかもしれない。「嫌い」を研ぎ澄ませることで、おのずと住みたい場所が見えてくる。
自分の場合は、
広くてまっすぐな道を歩くのが苦痛。
住宅だけのまちは退屈だ。
新しいだけの家に興味がもてない。
となるだろうか。
どこにでもある風景だが、自分と「嫌いなもの」が共有されているまちなのだ。
清水五条エリアに住む方に聞いた、清水五条暮らしのホンネ
Aさん(20代/男性)
東京からこのまちに移り住んだ理由は、飲みに行っても歩いて帰れる場所だったから。このあたりは祇園や木屋町から歩いても15分くらい。さらに最寄りの京阪・清水五条駅以外にも、阪急・京都河原町駅やJR・京都駅も徒歩圏内で、市内のどこで飲んでいてもだいたい帰ってこれる。夢が叶ったまちなんです。
Bさん(40代/男性)
朝の清水寺、それも開門時間の朝6時に行ったことがあります。昼の喧騒はなく、地元の人が毎朝のルーティンのように思い思いの過ごし方をしている様子をみて、日本を代表する観光地の裏側というか、日常にある信仰を見れた気分でした。近くに住んでいる特権といえば、特権ですかね。
Cさん(20代/女性)
仕事に行き詰まったとき、夜な夜な缶ビールを片手に鴨川に行くんです。人家の明かり、ひとが発する暮らしの明かりが、黒々とした鴨川の水面にゆらゆら揺れて。その流れに行き場のない感情を流しています。勝手にストレスの吐口してた鴨川、ごめん。けど、このあたりは人通りが少なくて泣きやすい。