世界各地を渡り歩く都市デザイナー杉田真理子さんが実践する「ベストよりベターな」暮らしのつくり方

Kyoto Dig Home Projectのテーマである「価値はユーザーが選ぶ」を実践する人に焦点を当てる「暮らしのディグり方」。今回紹介するのは、「都市デザイナー」という肩書きで世界を渡り歩き、調査やプロジェクトなどのために各地の魅力的なエリアを見てきた杉田真理子さんです。杉田さんは、パートナーであるジャスパーさんと、いま京都は浄土寺エリアで物件の利活用を進めています。元々の持ち主の方が亡くなられ、ともすれば空き家状態になりかねなかった物件です。
 
その物件をプロフェッショナルたちとともに改修しBridge Toという自宅兼事務所に。ここを開き、各国から「アーバニスト」と呼ばれる、都市への提案をおこなう人たちが京都滞在するときの拠点として使ってもらい、ときに彼らの滞在制作成果を発表する場としても利用する、そんな独自の活用法です。
 
そんな杉田さんはどうやって浄土寺というエリアを選び、この物件に出会ったのでしょうか。自ら手を入れ、自由に物件活用を展開する背後に見えてきたのが、「ベストよりベター」という考え方でした。さまざまな地域を見てきた杉田さんが実践する、物件を通した「暮らしのつくり方」について、うかがっていきましょう。

INDEX

この方にお話を聞きました

杉田真理子

都市デザイナー

杉田真理子

1989年宮城県生まれ。2016年ブリュッセル自由大学アーバン・スタディーズ修了。2021年都市体験のデザインスタジオ(一社)for Citiesを共同設立、現在同共同代表、(一社)ホホホ座浄土寺座共同代表理事。出版レーベル「Traveling Circus of Urbanism」、アーバニスト・イン・レジデンス「Bridge To」運営。都市・建築・まちづくり分野における執筆や編集、リサーチほか文化芸術分野でのキュレーションや新規プログラムのプロデュース、ディレクション、ファシリテーションなど国内外を横断しながら活動をおこなう。

杉田さんのこれまで「自分サイズの仕事をしたいなと思った」

——杉田さんの仕事は、肩書きがない仕事というか。多分、一般の人には理解しづらいと思うんですけど、ご自身の肩書きをどう伝えていますか?

都市デザイナーという肩書きで、都市体験のデザインスタジオ・for Citiesの共同代表を務めています。for Citiesでは、「都市体験の編集」をテーマに、場のデザインプロジェクトを、渋谷、池袋、神戸、アムステルダム、ナイロビ、カイロ、ホーチミンなど複数都市で手がけています。都市・建築・まちづくり分野での仕事を中心に、文化芸術分野でのキュレーションや新規プログラムのプロデュース、ディレクション、ファシリテーションなどもおこなっています。

——杉田さんにとって「都市」や「都市デザイン」に目が向くようになったきっかけはなんですか?

宮城県出身なので、震災は大きかったですね。伊東豊雄さんが被災地につくった「みんなの家」が好きで、建築という職業へのリスペクトがずっとあったのと、単一の建物どうこうという話ではなく、コミュニティを巻き込んで広い意味での「場」が大切だということも、この時学びました。

——杉田さんはどういうキャリアで今までお仕事されてきたのですか?

ベルギーのブリュッセル自由大学でアーバン・スタディーズの修士を修了したのち、東京・渋谷のロフトワークというデザイン会社に数年正社員として勤めました。場のデザインを中心としたプロジェクトに関わっており、事業の進むべき道筋を考え、進行を管理するようなプロジェクトディレクション/マネジメントを中心に、共創空間やインキュベーションスペースの立ち上げ・運営のノウハウや、アートやデザインをまちづくりに活かす方法などをここで学びました。

コペンハーゲンでの学生時代は、建築家やアーティストがおこなうまちづくり団体にも所属しワークショップやトークイベントなどの企画をしていた Photo Credit: creativeroots

東京で働くことはとてもエキサイティングだったのですが、3年ほど経ったところで、少しずつ、もう少し自分サイズの仕事をしたいなと思いはじめました。プロジェクトマネジメントやディレクションだけでなく、自分自身がクリエイターとして、何かを手を動かしてつくったり、自分自身の事業や活動を展開してみたいと思ったんです。

今の夫であるジャスパーと同時期に仕事を辞め、アメリカとカナダで1年ぐらいロードトリップをしてから、京都に引っ越してきたのが5年ほど前の話です。

なぜ京都に?「日本は空き家が多いし、みたいなことを夫と話してました」

杉田真理子さん

——なんで京都だったんですか?

東京を出たあとは、海外のどこかのまちに引っ越そうと考えていたので、アメリカとカナダをまわっていたときも、次はどこに住もうかをテストしていたような感じなんです。ニューヨーク、サンフランシスコ、カナダのトロントやバンクーバーに行って、ここだったら住めるかなとテストしていたんですけど、結局、ピンと来るところはあまりなく。

悩んだ末、夫と2人で「住みたいまちリスト」をつくって、点数をつけていったんです。

——どういう評価項目があったんですか?

自然の近さ、異なる文化や価値観に寛容で芸術家や海外の人など多様な人々にとって居心地よいクリエイティブコミュニティがあるかどうか、家賃相場、海や川などの水辺の近さなどいろいろです。評価が高いいくつかのまちのなかに京都があり「じゃあ京都にしよっか。一度は住んでみたかったよね」という感じで、本当に軽く決めました。

もう一つ、自分たちの家が欲しかったんですよね。ずっと移動生活が続いてたし、私は人生が引っ越しばっかりだったなと思って、戻ってこれる場所がないと消耗するなと思ったんです。

そのときに日本は空き家が多いし、みたいなことを夫と話してましたね。地方だったらもらえることもあるらしいよ、と。自分たちで手を動かしてつくることは好きで、夫も両親が建築家と大工さんなので、小さい頃から家をつくる現場をみていて。「じゃあ日本で家買うか。日本だったら京都だね」となり、安易に引っ越してきました。

——京都以外の都市にも空き家はあるとは思うんですけど。

全国にいろんな空き家がありますが、移住して自分たちで改修するとしたら京都がいいなと思ったんですよね。私たちにとって、住むまちに文化があることは大切なので、そういう意味でも京都にしようと。

京都のことを全然知らなかったので、最初の数ヶ月はシェアハウスに住みました。エリアの比較や、家賃相場のリサーチなどをしました。自然の近さ、自転車での移動のしやすさ、歴史的なまちなみなどを主に比較していましたね。

——物件探しは建物ベースで見ていたんですか、エリアで見ていたんですか?

元々、この浄土寺というエリアがいいなと話してたんですよ。京都に引っ越してきてすぐに、友達を連れて銀閣寺に行って、哲学の道を歩いたときに、いつかこういうエリアに住んでみたいねと話をしてて。でもぴったりな物件がなかったので「エリアを絞っていたら一生見つからないね」という話になって。岩倉の方とかにも行ったし。

——結構エリア広げてますね。

うん、結構広げてました。良い物件が見つからなかったら別のまちに引っ越そうとも思ってました。どこかは決めていなかったんですけど、夫がデザイナーで、私もどこでも仕事ができるので、海外へ行くことは常に考えてはいます。でも日本でいい拠点をどうしても見つけたかったんですね。

物件と出会うまで「不動産屋さんに相談してそういった条件で探しても全然みつからなくて……」

Bridge To 外観。物件前に川が流れており、その上に橋がかかっている。このあたりでは唯一の橋有りで、物件を決める際の決め手のひとつになった。欄干にテーブルを設置しており、休憩スペースになることもある

——どうやって現在の物件にたどりついたのですか?

最初は買うことを前提で探していたんですが、なかなかピンとくる物件がありませんでした。賃貸で探したときも、私たちが海外にいるときに転貸できるとか、改修できるとか、現状復帰なしとか、アトリエ・イベント使いできるとか、そういった条件で探しても不動産屋さんからは「全然ないですね…」と言われて…。

そんななか、町家の保存活動などをしているアセットマネジャーの赤澤林太郎さんに、今の物件を紹介してもらったんです。元々の持ち主の方が亡くなられて、IYEYAさんが購入し、活用方法を探っている段階でした。社長の田中さんに赤澤さんとプレゼンテーションをしに行って「こういうことをしたいです」といろいろプランを出したら、「いいよ」と言ってくれたんですね。

外壁や水回りなど最低限の工事のみした状態で貸していただいて、そこからは少しずつ、自分たちで直しながら今に至るという感じで、心地よく住めるようになるまでには4か月から5か月かかりました。

——この物件のいいなと思ったポイントはどこでしたか?

ボロボロだったんですけど、2階に上がった瞬間に、大文字が目の前に広がり、「ここはいい空間に化けるな」と直感的に思ったんですよね。仕事柄、都市デザインや場づくりに関わり、いろんな場所を見てきたので、場所のポテンシャルを察知することには自信があります。

Bridge To 2階のリビングスペース。パートナーのジャスパーさん曰く「自分はそこまではオープンな性格ではないけども、真理子は二人分の行動力とアイデアがある。家開きという考えも、始めてみたら多くの人に出会えるし、今となっては楽しんでいます」

——東から陽が入っているのか暖かいですね。

冬は1階は寒いですが、2階はポカポカで暖かいんです。逆に夏は1階がひんやり涼しいので、窓を全部開ければクーラーはほぼ使わなくていいんですよ。猛暑だった今年の夏でも3回くらいしかクーラーを使ってないです。2階は日当たりが良いのでサンルームみたいにして、季節に合わせて自分たちの行動が変わります。日本の古い家は大体、こういうふうに季節に合わせて過ごし方が変わるのが好きです。

——家の中で引越しをしているみたいですね。

そうですね。建具も季節によって変わるじゃないですか。それもこういう古い家に来て初めて気づいたこと。家にも季節性があるというか。家の身体のリズムみたいなのがあるなと思いました。

リノベーションの話「住む期間が1か月でも私はいい空間にしたい」

——何にこだわり、どれくらい予算をかけて改修をしていったんですか?

家賃がそこまで安いわけではないので、リノベーションにさほどお金はかけられないと最初から覚悟していました。断熱などの改修作業はひとまず後回しにしています。自分たちができる範囲で、お金をかけずに、楽しくやっています。

改修にあたって大切にしていることは3つ。

①プロの助けも借りながらも、できるだけ自分たちで手を動かすこと
②全て新品にせず、廃材や古道具・家具など、古いものを積極的に取り入れること
③できるだけ環境への負荷がかからない方法で改修・活用すること

例えば、化学塗料などをAmazonで購入する、といったことはせず、多少値段はかかったとしても漆喰や柿渋などの素材を京都の個人商店から購入するといったことを意識しています。電気は、再生可能エネルギーを供給する「みんな電力」と契約したり、できるだけプラスチックゴミが出ないよう普段から意識するなど、ランニングの部分での環境コストも意識しています。家具は、廃材を集めている近所の友人から購入させてもらったもの、リサイクルショップで購入したものか、自分たちで自作したもののいずれかです。

玄関入ってすぐのキッチンスペース

「どうせ2年くらいしか住まないから」と生活に対して投資をしない人も多いと思うんですけど、2年って結構長いじゃないですか。私はたとえ1か月でもいい空間にしたいなと思います。

床・畳も張り替えました。畳一枚とってもいろんなストーリーがあって面白いんですよね。こっちの畳屋さんとこっちの畳屋さんが違うとか。バルコニーは、滋賀を拠点に活動する建築事務所・Studio on_siteの大野宏くんにお願いしました。

1階畳スペース。テラスの先には庭。右手の事務スペース部分の畳は、京都の「YOKOYAMA TATAMI」のもの。「同じ畳でも、芯となる張りがあって作業しやすい」と杉田さん

——廃材や古い家具はどうやって入手するんですか?

近所に、京都中の解体現場などからレスキューした廃材を集めている方がいらっしゃって。家の近くの本屋さん・ホホホ座を通して知り合いになり、今では一緒に一般社団法人も運営しています。Bridge Toの玄関ドアも、この方にお願いして、廃材を使ってオリジナルで制作していただきました。

だからうちには古材がたくさんあります。漢方屋さんが廃業して、棚だけもらってきたものとか、どこかの寮から流れ着いたような机とか。もともと餅つきの臼かと思われる、手づくりの椅子とか。京都中のさまざまな生活の痕跡を感じられます。

ときに展覧会も開催する1階スペース。こちらも壁を抜いて、空間を広くとった。置かれている家具のほぼすべてが廃棄予定だった家具を引き上げてきたもの

拠点を持つこと「私から出向いていかなくても、人が私のところに来てくれるようになりました」

——定住せずにやってきた杉田さんが拠点を持って、何が1番大きな変化になりましたか?

私から出向いていかなくても、人が私のところに来てくれるようになりました。世界中の面白い人たちに会いたいから活動していたのに、向こうから来てくれるようになる、その受け皿があるのは大きな変化です。自宅兼事務所で家開きする、という働き方は、人生で初めてですが、自分にあっているなと思いました。そのライフスタイルこそ1番の収穫かもしれないです。ここに引っ越してから、人生も動いたっていう感じでしたね。

——家を開いていろんな人が入ってくる状況をつくると生活にゆとりができそうですね。一方で、日本人の場合はプライバシーの問題からかあまりそうしたがらない気がします。どうしたらそういう楽しみをつくれるんでしょう?

頻繁に人を家に呼んでみると、常に家を片付ける習慣が身に付きますよ(笑)。

——この場所を使った取組について教えてもらえますか?

まずはじめたのは、アーバニスト・イン・レジデンスという取組です。アーティスト・イン・レジデンスじゃなくて、都市・建築・まちづくり界隈の実践者を対象にした、”アーバニスト”・イン・レジデンス。世界中のアーバニストに京都に滞在してもらって、リサーチや制作をしてもらうような企画で、主に海外から、今までいろんな人が参加してくれました。

海外の建築家が来たときに、1週間しか京都にいないけどその間にトークイベントやワークショップをしたい、自分の作品を発表する展覧会をしたい、京都の同業者と交流したい、みたいなニーズがあるんですよね。この間も、ギリシャ出身の建築家でありパフォーミングアーティストが3週間ぐらいBridge Toに滞在をしたあと、「パフォーミング・アーキテクチャー」という5時間のワークショップを浄土寺のいろんなエリアでおこないました。

Bridge To の目の前にある公園での「パフォーミング・アーキテクチャー」の様子
Bridge To を利用した展示の様子

みんな、何かしら滞在した後にアウトプットがあるんですよね。京都で何かを発表する、ということは、海外のアーティストやクリエイターにとっては大きなポートフォリオになり得えます。長期的に継続して京都と関わりたい、という方も多いので、地元のステークホルダーと繋げることで、新しいコラボレーションの種も生まれます。

このエリアのこと「ここで展覧会とかするときは近所の方も寄ってくださいます」

——ここ浄土寺というエリアをどのようにとらえてますか?

文化度がすごく高いなと思います。ライフスタイル自体、消費主義っぽくないところもありますね。スーツを着ている人をほぼ見ない(笑)。近所でものの貸し借りがあったり、物々交換もあって、私も要らないものの「差し上げますコーナー」を家の前につくってます。器とか、要らなくなったけど捨てるほどでもないものを、近所の人に持っていって使ってもらうスタイルです。

あと、浄土寺にはうちのような場所も結構多いです。傍から見たら普通の家だけど、月に1回ぐらい、気が向いたらギャラリーやお店を開けるみたいな。趣味や生活の範囲でやってるスペースがあります。このエリアはすごく心地いいですね。

Bridge To の前にある「差し上げますコーナー」は、まちとの関わりしろになっている。「たくさん並べるのではなくて、ギャラリーのように、一日ひとつだけ不要になったものを置く」のがポイントだとか

——ご近所付き合いはどんな感じでされていますか?

周りの方とはご挨拶したり、イベントするときは声かけたりして。ここで展覧会とかするときは近所の方も寄ってくださいます。それがきっかけで子どもも頻繁に遊びに来るようになりました。

私たちが海外に行っているときにこの家に住んでくれた人のうち数人が県外からこのエリアに移住していて、近所付き合いはよりタイトになりました。ほぼ毎日誰か来るし、ふらっと入ってくる同世代の近所の友達がいるのは幸せなことです。

それから、2023年3月には地域の事業者複数人で新しく「ホホホ座浄土寺座」という一般社団法人も結成しました。メンバーは「浄土寺センター」の松本伸也さんや地域福祉に力を入れる「ホホホ座わいわいのメンバー」、食の実験ユニット「播 -maku-」の市橋正太郎さん、加奈美さんなど。空き家や廃材の利活用や不動産相談、場づくりなどを、地域福祉の現場と寄り添いながらおこなっています。また、元糸屋さんだった建物を共同購入・リノベしたコミュニティスペース「麓(ふもと)」を2024年初頭にオープン予定です。

世界から日本、京都を見る「ベストを求める日本、ベターでいいアメリカ」

いまキッチンとしているスペースにはもともとトイレがあった。杉田さん曰く「薄暗く、いわゆる昭和の超ボロ家だったんです」とDIY前の家を振り返る

——杉田さんは世界中の都市をリサーチで訪れていますが、魅力的だなと思った場所はどこですか?

たくさんありますよ。でも、どこが魅力的かと聞かれたら、「都市」という規模じゃなくてよりコンパクトな「界隈(ネイバーフッド)」の話かもしれないです。最近いいなと思ったのは、台湾の「台湾古風小白屋」という名前のDIYスペース。ローカルエリアの中の工具がたくさんあるスペースで、引退したおじさんおばさんがボランティアで関わっているんですが、みんなが自分たちでものづくりしている感じ。路地がすごく緑化されてて、引退したおじいさんが勝手に全部アプリで水やりも管理できるようにしていたり。ただ与えられた空間に住んでいるというよりは、みんなが創造者になりうる、ということを実感した事例でした。

私は自分たちの生活を自分たちでつくっているような場所がすごく好きで。コロナの時期、9か月ほど家を空けてアムステルダムに住んでたんですけど、そこにもそういうカルチャーはありました。

アムステルダム滞在中にお世話になっていたアート団体・Cascolandがつくったコミュニティスペースのひとつ。開発が進むエリアの広場に、コミュニティ・ガーデンやワークショップなどをおこなうスペースをゲリラ的に立ち上げ、地域住民を巻き込んだイベントやものづくり活動をしていた

京都が良いのは、ものづくりの文化が根ざしていることですね。例えば「もっと本格的にやりたい」と思ったときにプロが周りにいるんですよね。それが京都の圧倒的なポテンシャルだし、私もものすごく影響を受けてますね。自分でも手を動かして色々つくるようになりました。

——京都にずっと住んでいると、これだけのつくり手がいるということを実感しますね。

そうそう、そうなんですよ。

——一方で日本として見ると、DIYをする文化はあまり一般的ではなく、手づくりする場所もあまりないように思います。他の都市と比べてどうですか?

確かに。アメリカだと私の夫の周りでもみんな基礎のDIYはできますね。夫の両親はDIYで家を建てているくらい。主要なツールも使えるし、市民の一般的なDIYスキルはアメリカは日本に比べて高いような気がします。ヨーロッパも、程度の差はあれど、みんなしているイメージ。でもDIY文化だってかつては日本にもあったと思うんですけど、なくなってしまったのはなんでだろうなって思うんですよね。

例えば、日本だと長く住み続けることを前提に家がつくられてないとか、完璧を目指しすぎるとか、日本人の悪い癖かもしれません。そして、傷ひとつつけられない日本の「現状復帰」文化は少し特殊だなとも思います。最近知り合いに言われてその通りだと思ったのが、日本人はベターじゃなくてベストを求める傾向にある、ということ。アメリカはベターでいい。だから気軽に色々やっちゃう。

例えば、Bridge Toでは元々壁があって抜いたところ、古いガス管が剥き出しになってしまいました。多分多くの人はこれを綺麗に片付けなきゃいけないと思ってしまうけど、私たち的には、なんだか可愛らしいからそのままでオッケー。そのまま放置しています(笑)DIYも、これくらいのゆるさで良いんじゃないかな。

壁を抜いたら出てきて、可愛いのでそのままインテリアとして置いているガス管

——わかります。

日本では、何かつくるとなると大事(おおごと)になってしまうことが多い。私としては「もうこれぐらいだったらいいか」みたいな感じなんですけど、多くの人にとってはこれは許容しがたい。だからいろんなものが高くなるし、大変になるし、重くなる。そうするとどうしても「空き家改修は大変だよな」と思われてしまうんだろうな、と。

——杉田さんはなぜ「ゆるく」考えられるんでしょうか?

手を加えたり、アップデートする余地のあるデザインの方が、完璧に汚してはいけない空間よりも心地よいからです。世界各地で、力が抜けたラフなデザインなんだけど心地よい空間を事例として沢山みているということも大きいです。ポートランドにある廃校を利活用したケネディ・スクールとか、ベルリンのHolzmarkt、アムステルダムのDe Ceuvelなどが思い浮かんできます。

杉田さんが考える空き家対策とこれからについて「手紙を出したところ、数か月後にそれを読んだ大家さんから電話がかかってきた」

——「ベストよりベター」など、空き家問題を考える上でのヒントをさまざまにいただいたように思いますが、杉田さん自身はこの問題をどう考えていますか?

まず、空き家改修のハードルを下げることが大切だと思います。あとは、DIYスキルをもっと市民一人一人がつけること。自分たちである程度手を動かしたらその分改修費も抑えられますし、工務店との交渉もしやすくなります。

そして、所有者側も完璧主義すぎなくて良いと思います。通常の考え方だと、初期投資をしてある程度綺麗にしてからでないと貸し出せない→初期投資がそれなりにかかるからどうして良いかわからずに放置、というパターンが多い気がします。ですが、現状のままの代わりにその分家賃を下げて貸し出し、借主側に自由に改修してもらう、という考え方もあります。

ピカピカに改修されきってしまった物件は借り手が手を加える余白がなくなって、私はちょっとテンションが下がります。「なんでこうしちゃったんだろう」と残念に思う改修もありました。だったら水回りや構造部分だけなど最低限の改修をして、あとは借り手に委ねる、というのも一手だと思います。

——今後この浄土寺エリアでやっていきたいことはありますか?

ありがたいことにコンタクトをとってくれるアーティストやクリエイターの方も多く、自宅兼事務所のBridge Toでは手狭になってきたので、もう1件、近くの物件を借りはじめました。

このエリアに引っ越してきた当初から気になっていた場所で、明らかに空き家だったんですが、、建物の魅力を保ったまま活用させて頂きたいという旨の手紙を出したところ、数か月後にそれを読んだ大家さんから電話がかかってきたんです。

——Bridge Toのときもそうでしたが、杉田さんは大家さんや所有者さんへ直接アプローチされますね。その熱意が届いたんでしょうね。

情熱や熱意ももちろん大切ですが、不動産や改修・リノベのプロセスについて最低限の知識を持っておくことで、大家さんとのコミュニケーションや交渉はしやすくなりますし、相手にも安心してもらえるのかなと思います。場合によっては専門家の知人に相談して交渉の場に同席してもらうなども良いかもしれませんね。

——どんな物件で、将来に向けてどんなプランを考えているのですか?

23年間空き家だった元小児科の建物で、洋館部分と和な数寄屋づくり部分と半々のユニークな建物です。手入れは必要なものの、良い状態で残っていました。

今後はこの場所「Bridge Studio」を、シェアアトリエやレジデンス、ギャラリーなど、複合的な用途で地域に開いて活用していく予定です。既に、地域のボランティアの方々の手もお借りして残置物の整理やリノベーションも少しずつ始まっています。1月27日まで、改修費を募るためのクラウドファンディングもおこなっています。個人で空き家を抱え込むのは大変なので、こんな形でいろんな人を巻き込んでいくと、次世代に引き継げる建物も増えていくはずです。

1934年築の元小児科の建物。これから少しずつDIYで改修をしながら、地域に開いた場所にしていく予定
建物が元々持つ魅力を最大限に残しながら、2024年春のオープンに向けて改修を進めていく Photo Credit: Daisuke Murakami

杉田真理子

都市デザイナー

杉田真理子

1989年宮城県生まれ。2016年ブリュッセル自由大学アーバン・スタディーズ修了。2021年都市体験のデザインスタジオ(一社)for Citiesを共同設立、現在同共同代表、(一社)ホホホ座浄土寺座共同代表理事。出版レーベル「Traveling Circus of Urbanism」、アーバニスト・イン・レジデンス「Bridge To」運営。都市・建築・まちづくり分野における執筆や編集、リサーチほか文化芸術分野でのキュレーションや新規プログラムのプロデュース、ディレクション、ファシリテーションなど国内外を横断しながら活動をおこなう。

credit:

編集:榊原充大(株式会社都市機能計画室)

取材:光川貴浩(合同会社バンクトゥ)

撮影:川嶋克

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